5系統に分割運営化していたブログを再度一本化することにしました。
こちらのブログに「読者登録」して頂いていらっしゃる方は、新たな一本化したブログに読者登録していただけると非常に嬉しく思います。
なお、こちらからの「読者登録」は一度すべて「クリア」させていただきました。
5系統に分割運営化していたブログを再度一本化することにしました。
こちらのブログに「読者登録」して頂いていらっしゃる方は、新たな一本化したブログに読者登録していただけると非常に嬉しく思います。
なお、こちらからの「読者登録」は一度すべて「クリア」させていただきました。
またつまらなくなった。
と、全てのブログに書いておくとか。
でも大丈夫(^^)
そのうちまた( ^_^)/~~~
今まではKindlePaperwhite11th
これの前のモデルの16GBを使っていましたが、今朝iPadOS18を使いたいがためにiPadAir第三世代を衝動買い
これのもう少しスイヤだったのを某フリマで衝動買いしたので、そちらに移行しようかと・・・
って、大丈夫なのですかね、オレ(^^;;
「妄想的カラマーゾフの兄弟完結編あらすじ」
(完全なフィクションです)
注:「ドストエフスキー」の「ロシア正教徒」としての「宗教観」と「迫害体験」を重要視した上で、素人が勝手な妄想を繰り広げて考えた「完結編」となります。
= = = = =
未完に終わった本編から3年後・・・
修道院に戻ったアリョーシャはゾシマ長老からの教えを忠実に守り、修道院生活を続けていた。 アリョーシャの心の中には家族間のいざかいも現実社会との乖離感も消え去り、アリョーシャ自身は敬虔な修道者であると信じていたが、それが「間違い」だったと進んでいくのがこの「妄想的完結編」の始まりである。
= = = = =
アリョーシャは修道生活を続けることによって「信仰の極地」を知ることに至る。
その「信仰の極地」と「修道院内の形骸化した儀式的信仰」に疑問を感じ、アリョーシャの中に秘められていた激情的な性格が露わとなってマルティン・ルターを見習い修道院の聖堂に「アリョーシャ的12ヶ条の提言」を貼り付ける。
アリョーシャは「ルターの提言は95ヶ条あったが、私は12ヶ条で十分。シンプルこそ美的信仰だから」と想いを馳せる。
アリョーシャは修道院から追放される。
= = = = =
住む家もお金もないが「信念」だけは強く持ち合わせているアリョーシャは、昼間「路傍伝道」に勤しみつつ「自らの教会兼避難場所」を建設するために夜を通して肉体労働に励む。
その「路傍伝道」の内容が「ロシア政府」と「ロシア正教」から「反逆者」とみなされ「逮捕・投獄」される。
= = = = =
獄中のアリョーシャは祈っていた。それも「自分を反逆者とみなした人たちが救われますように、そして獄中の囚人たちが平穏に暮らせるように」と。
ふと「お前はどこにいる」という「声」が聞こえた。
それは間違いなく「ゾシマ長老の声」だった。
ゾシマ長老はその言葉に続けて「聖書を書き写せ」と命じた。
アリョーシャは「ここには聖書も紙もペンもありません」と答えた。
ゾシマ長老は「マタイによる福音書7章7節を覚えているね?」声の最後は消えかかっていた。
その後アリョーシャが語りかけてもゾシマ長老の声が答えることはなかった。
アリョーシャは「聖書は暗唱できるほど覚えている」と思いながら自分の手と牢獄の壁を見つめた。
そして壁に刻まれている過去の囚人が刻んだ恋人の名前や家族の名前の上に創世記の冒頭から爪を使って刻み始めた。
「ここに囚われていた過去の囚人たちは孤独に苛まれていたのだな」
アリョーシャは「真実」を指先から感じ取っていた。
アリョーシャはこの「獄中の孤独」が日本の哲学者が語った「すべての人間の悪は孤独であることができないことから始まる」という言葉を思い出して「牢獄とは孤独を強制的に経験させることによって悪を更生する施設」ではないかと考えた。
アリョーシャが聖書の書き写しを行っている中で、今まで理解できなかった「ルカによる福音書16章」の「不正な管理人のたとえ」が初めて正しく理解できたと感じる。
それによって「自分を小さきものとした上で、自分を迫害したロシア政府・ロシア正教を大きなものとして認める」こと(つまりは信仰に入った時の初心に戻る)に至る。
それ以後は周りに迷惑にならないようにと小さな声で歌っていた「讃美歌」や、同じく声を出さなかった「祈り」について「声を大」にした。
囚人たちがアリョーシャに興味を持ち始めた。この過酷な牢獄の中でなぜこのように「希望」を持っていられるのだろうかと。
自分に対して関心を持ち始めた囚人たちを見て「自分が獄中に囚われているということは自分には罪がないと思っていたけれど、囚人であることが罪あるものの証明になっているんだ」と思い「イエスは自己の孤独ゆえに罪ある他者に対しての償いとして自分の命を捧げた」という側面から囚人仲間と共に聖書を共に読むことで「獄中伝道」が始まる。
その「獄中伝道」は「看守」を通して「看守長」へと伝わり、さらには「その先の要人」にまで伝わっていく。
そしてアリョーシャの罪はパウロの如く許され、他の多くの囚人と共に牢獄から解放される。
= = = = =
牢獄から解放されたアリョーシャは再び「昼は路傍伝道」「夜は肉体労働」の生活を再開する。
「路傍伝道」には「ロシア政府」や「ロシア正教」の要人も集まってくる。
要人たちが相談しながらアリョーシャに言った。「お前は夜を通して肉体労働をしているらしいが、必要なら金銭的援助をするが何枚の銀貨を希望する?必要であれば必要な数の金貨も用意するぞ?」と。
アリョーシャは「自らが建設したいと願っている『独自の教会兼避難場所』の資金は自らの体を使って捻出しないと意味がないのです。その提案はありがたいのですがご辞退させていただきます」と答える。
= = = = =
アリョーシャは待望の「自らの教会兼避難場所」を建築するに至るが、その建物は山の中のボロ小屋と言っても良いほどであった。
その中では通常の礼拝のような「儀式的行為」は全く行われず、ロシア正教の信徒であるか否かを問わす「目の前に聖書を置いてただ祈り続ける」ことが中心に行われる。
そこには「オルガンの響き」も「讃美歌の歌声」も「聖書の朗読」も「アリョーシャによる説教」も「煌びやかなステンドグラス」も「イコン」もなく「十字架」すらない。
椅子やテーブルすらないボロ小屋ながら、集まってくる人々によって床は磨き上げられている。
食事は集まった人たちが持ち寄った食材により集まった人たちが協力して料理を作り、そしてその集まった人たちが円形に座って共に食事をとる。
アリョーシャは思った。「これこそが平等な相互扶助の共同体としての正しく新しいロシア正教の教えなのだ」と。
= = = = =
シベリア抑留から戻ったドミトリーと、まだ正気を取り戻していないイワンがボロボロの衣服のままで街を彷徨っている。
まるで「啓示」を受けたかのように「カラマーゾフ家の墓」をそれぞれ別に訪れる。
そこにはアリョーシャからのメッセージと思われる「アリョーシャの教会の住所・地図」が刻まれていた。
ドミトリーとイワンはそれぞれがそれを知った事を知らないまま「ただ食べ物と雨風から逃れる場所を求めて」アリョーシャの教会へと向かう。
= = = = =
アリョーシャの教会においてドミトリーとイワンが共に食事をとり生活を続けていくうちに、ドミトリーは再び信仰に目覚めイワンは正気を取り戻して共に信仰に目覚める。
そしてこの「3兄弟」による「アリョーシャの教会」にひっきりなしに人々が出入りするようになる。(それはまるで氷点における辰子おばさんの家の如く)
「ロシア政府」と「ロシア正教」からアリョーシャの教会が「正当なロシア正教の分派」として認められる。
= = = = =
終わりに・・・
「オレはカラマーゾフの兄弟の完結編が書けると思い構想を練ってきたが、結局は未完状態のあらすじ紹介で終わってしまった。これこそがドストエフスキーが言いたかった『すべての人間は傲慢であると言える』につながるのではないだろうか。この『未完に終わった妄想的完結編』を、オレが天に召された時にドストエフスキー自身から感想を聞きたいと願うばかりである。
もっとも、この稚拙な完結編を本職の小説家さんが本物の小説に仕上げていただけるのであれば、オレは無償でこの筋書きを提供する。なぜなら、物語というものは、源氏物語のように決して一人の手で終わるものではないのだから。
ちなみにオレは「ドストエフスキー」の小説では「カラマーゾフの兄弟」と「罪と罰」を「1回ずつしか読んでいない」事を付け加えておく。
また、プロフィールに記載されている通りオレはプロテスタント系教会で洗礼を受けたにもかかわらず様々な理由により無教会派となっている事も忘れないで頂きたい」
= = = = =
「ドストエフスキー」による「本編」はこちら。
2時間くらいにわたってChatGPTと「裏取り的問答」をしながら、未完に終わっている「ドストエフスキー」の「カラマーゾフの兄弟」についての「妄想的完結編」の構想を組み直してみました。
なんと「問答の文字数が2万5千文字」にもわたったという・・・
果たしてこの「トーシロの果敢なチャレンジ」が成功するか否か。
= = = = =
それはそうと
さんが
というのを出版されたと書かれていたので購入してみました。
今はまだ「三木清」の「人生論ノート」
が半分くらいまでしか読み進められずにいながらも、何回目かの再読としての「三浦綾子」の「氷点シリーズ」
の「続氷点・下巻」も半分くらいまでしか読み進められていないのと、次に待っている紙の本である「野崎孝」訳の「ライ麦畑でつかまえて」
を読む予定なので、その後に「かぶとむしママさん」の著書を読むという予定になりそうです。
どうしましょ・・・積読の山(^^;;